筆者は長年「自分はモラハラ被害者である」と信じて生きてきた。
相互関係が築けない夫婦間での争いは、きっと夫のモラハラが原因なのだろうと思い至ってからは、そこから抜け出すための模索の日々を過ごすこととなる。
その間、SNSでは、似た悩みを抱える人達との出会いがあった。
それは紛れもなく私の心の支えとなっていく存在。
パートナーとのモラハラ問題に悩み、乗り越えてきた人達から善意でシェアされる経験談や知識は、我が家にとって良き形での離婚成立までを導いてくれた。
この惜しみなく出してくださる善意のシェア情報を、『誰もが気軽に確認することが出来ればいいのに。』
そんな声が上がり、それぞれの経験談の一つ一つをまとめ始めたことが、当サイトが立ち上がった経緯となる。
ここに記されている情報を参考に、各々にとって良き形の未来を見つけていただけたらと思う。
とはいえ、どんなものであろうと、全ての人に当てはまるわけはなく、また、このサイトを参考にしたお陰で不幸になったと言う人も現れるのかもしれない。
これはあくまでも自論になるけれど、そもそもが『人のせい』に出来てしまう人について
このような生き方をしてきた人、これからもそのスタンスを守り続ける人は、私たちの記録は役立たないと断言しておきたい。
パートナーから、「何もかもお前のせい」などの一方的な暴言を日常的に投げられ、罵られ人間扱いされなかった、
その支配下で苦しみ、己の非をも疑い、振り返りや反省にもがき模索してきた人にこそ、伝わるものであることは確か。
そして時折こんな人もいる。
自分の元から去って行ったパートナーとの向き合いには目を反らし続け、
「このサイトのせいで出て行かれた」と、摩訶不思議な投影を発動させる人。
筆者への嫌がらせに専念する者は意外に珍しくない。
しかし、そのような別次元の意見に対して、私たちが向き合うわけにはいかない。
それこそ福祉や医療の領域の仕事となるのだから。
また近年、気になっているのは、『被害者』と己を位置づけする人達の多くが、己が受けている被害は『モラハラか否か』という部分に強くこだわる傾向にあること。
私は逆に疑問を投げかけたい
「それを断定する必要はあるのですか?」
どの立場であろうと双方が声に上げる
「被害者は自分」
どんなに酷いDVモラハラ加害者であろうと、己の方が被害者であると信じて疑わない。
この法則の理由を探ると、生まれ育った環境下や周囲の大人との関わりで備わった概念が、人格に深く干渉していることが垣間見え、何とも切ない物語が露出してゆく。
あなた自身も、もしかしたら加害者なのかもしれない。
自覚がないだけなのかもしれない。
そんな残念なオチも十分ありえてしまうことを脳裏に留め置いて欲しい。
『どちらが被害者か加害者か』
これを断定しようと必死になること自体がナンセンスなのだと気づいて欲しい。
相互関係が築けなくなり、会話が成立しないほどまでに関係が悪化するならば、『離れる』ことが進むべきステップであり、
決して「お前が加害者だ」と罵り合うステージに降り立つ必要はない。
傷つけあうことで得るものとは?
きっと大した利益は無さそうだと容易く予測できてしまう。